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2015年11月25日水曜日

【もっと知りたい方へ】 核武装の流れ、日米核密約

「余命まとめ目次」http://yomeinomatome.blogspot.jp/2015/11/blog-post_98.html



なかったら大変

 余命ブログでは日米核密約を目立って取り上げていませんが、これがなかったら大変です(日本再生計画と直接の関係がないから取り上げないのでしょうが)。言うまでもありませんが、核兵器は抑止力の基本です。
 【抑止力】について、余命ブログ、2015年5月31日記事で「核武装トマホークによる対中抑止力」が取り上げられました。ここでは、関連事項として日本の核持込み・核武装の流れを紹介します。深く知りたい方は各項目を調べてみてください。

余命ブログ、2015年5月31日記事「核武装トマホーク」
http://yh649490005.xsrv.jp/public_html/2015/08/21/255%E3%80%80%E6%A0%B8%E6%AD%A6%E8%A3%85%E3%83%88%E3%83%9E%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%82%AF/
http://kotoage.net/yomei/m.cgi?1505(余命3年時事日記さんのバックアップ様)



結論

 2007年日米極秘会談に伴う日本核武装の可能性(潜水艦発射型・核弾頭トマホーク、実現したかどうかは不明)は、少なくとも1963年から続く日本国内への核兵器持込みの流れの中にある。当時はソ連への抑止力、現在の核弾頭トマホークは中国への抑止力。日米ともに、日本国内への核兵器配置の必要性を事実上、認めている。
 日本国内への核兵器持込みの流れは、1950年アチソン・ラインによる第一列島戦防衛の流れの中にある。第一列島戦防衛は米国本土への防波堤の防衛。

 表向きは非核三原則でも構わないので、裏では?このまま密約を続けてほしい。中露に対する大きな抑止力になる。有事近しとなれば非核三原則を撤廃すればいいだけ。撤廃することを前提に準備しておいてほしい。



主要年表

1945年8月15日 大東亜戦争終結

1950年1月 アチソン・ライン
  ・第一列島線防衛の原点
  ・在韓米軍撤退問題の原点
  ・「アメリカが責任を持つ防衛ラインはフィリピン-沖縄-日本-アリューシャン列島まで」
   (ちなみに、朝鮮半島は入っていない)

1952年4月28日 サンフランシスコ平和条約発効
  ・日本の国際社会復帰

1952年4月28日 日米安保条約発効

1960年6月23日 日米安保条約改定発効(60年安保)

1963年~(少なくとも1963年~) 日米核密約
  ・日本国内への核兵器持込みを認める

1972年5月15日 沖縄返還協定発効、沖縄返還
  ・沖縄核密約

1989年12月3日 米ソ、冷戦終結宣言

中国台頭、韓国の中国属国化が次第に進む、米の対韓不信が次第に大きくなる

2007年日米極秘会談
  ・自民党・第一次安倍内閣、共和党・ジョージ・W・ブッシュ大統領(子ブッシュ)
  ・日米、韓国切り捨てを決断、日本再生の狼煙
  ・米国、朝鮮戦争再発時は不介入
  ・米軍は半島から撤退、日本とともに第一列島線防衛に専念
  ・日米安保の密接強化
  ・戦後日本の軍事産業の制限や規制を原則解除
  ・中国への抑止力の範囲で日本への核弾頭売却を容認
   (潜水艦発射型・核弾頭トマホーク)

2014年1月31日、安倍総理(第2次安倍内閣)、核密約公認
   「(密約を)政府が否定し続けて来たのは誤りだった」
   「(国民が)理解し得るかどうか、という中での判断だったのだろう」





以下、添付資料

1.核密約公認までの経緯
2.核密約の裏話

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添付資料1.核密約公認までの経緯

wikipedia-日米核持ち込み問題
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E7%B1%B3%E6%A0%B8%E6%8C%81%E3%81%A1%E8%BE%BC%E3%81%BF%E5%95%8F%E9%A1%8C



国是としての非核三原則

1957年、岸信介総理、核兵器を装備した部隊の日本駐留を拒否
「私はこの原子部隊を日本に進駐せしめるというような申し出がありました場合においても、政府としてこれに承諾を与える意思はもっておりません」

日本政府表明、核持込みについて
  ・岸・ハーター交換公文「日本への核持込には事前協議が必要」
  ・今まで事前協議が行われたことはないので、核が持ち込まれたことも無い
  ・事前協議があれば核持ち込みを拒否

1967年、佐藤栄作総理、非核三原則
「核兵器を持たず、作らず、持ち込まさず」



米国の対応

自国艦船の核兵器搭載、「肯定も否定もしない」原則を堅持

1981年、ライシャワー発言
「日米了解の下で、米海軍艦船が核兵器を積んだまま日本の基地に寄港していた」
(新聞記者に対する発言)

1999年、ライシャワー発言の外交文書発見
「1963年、ライシャワーが当時の大平正芳外務大臣との間で、日本国内の基地への核兵器持込みを了承した」という内容の、国務省と大使館の間で取り交わされた通信記録



日米間の定義の違い

・米政府、「持込み (introduction) とは核兵器の配置や貯蔵を指すもの、それ以外は「transit」と
 して一括し、「transit」には寄港、通航、飛来、訪問、着陸が含まれ、共に事前協議の対象外」

・日本政府、「transit」も「持込み」に当たる

 実際、他の事例で言えば、旅客機が最終目的地までの飛行の途中で、他の空港に立ち寄ることがあるが、これは「トランジット」と呼ばれており、立ち寄り空港のある国家の査証などは必要とされない。また、貨物船がある国に寄港する場合にも、貨物をその国に通関させない限り、何らの手続きを要しない。以上のことから、国際的には、たとえ貨物が核兵器であっても、単なる寄港の場合は、その国に持ち込んだことにはならない、との解釈が常識的である。



2009年からの外務省内部調査

2009年6月1日、共同通信と関係のある地方紙
「有事の際に核再持ち込みを日本政府が認めるという内容の密約(核密約)が存在する」
(匿名の外務次官経験者へのインタビューをもとに主張)
核密約への疑惑が再燃

2009年9月16日、岡田外相(鳩山内閣)
密約を調査し、11月末を目途に公開するよう外務省に命令

・調査対象の密約は4項目、うち2つが日米間の核持込みに関するもの
   1.1960年1月の安保条約改定時の、核持ち込みに関する「密約」
   2.同じく、朝鮮半島有事の際の戦闘作戦行動に関する「密約」
   3.1972年の沖縄返還時の、有事の際の核持ち込みな関する「密約」
   4.同じく、沖縄返還時の原状回復補償費の肩代わりに関する「密約」

・調査命令に関し、同年9月18日、米東アジア・太平洋担当国務次官補のカート・キャンベルは、
 持込みに関する密約は事実存在し「非核三原則」は有名無実である旨言明

・2010年(平成22年)3月に発表された日本の外務省調査委員会は、明文化された日米密約
 文書はないとしながらも、核持込みについて広義の密約があったと結論付ける



寄港などの形で核持込みを知っていた政府高官(日米の公開公文書による)

・総理経験者
   岸信介、池田勇人、佐藤栄作、田中角栄、三木武夫、福田赳夫、大平正芳、鈴木善幸、
   中曽根康弘、竹下登、宇野宗佑、海部俊樹、宮沢喜一、橋本龍太郎、小渕恵三

・外相経験者
   愛知揆一、木村俊夫、鳩山威一郎、園田直、大来佐武郎、伊東正義、桜内義雄、
   安倍晋太郎、倉成正、三塚博、中山太郎

・内閣官房長官経験者
   二階堂進

・外交官・東郷文彦が「核密約」を構想したといわれる



2014年1月31日、安倍総理(第2次安倍内閣)、核密約公認

   「(密約を)政府が否定し続けて来たのは誤りだった」
   「(国民が)理解し得るかどうか、という中での判断だったのだろう」



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添付資料2.核密約の裏話

【共産・不破前議長会見詳報(5)】「核密約は今も生きている」
産経ニュース、2015.11.24 22:34更新
http://www.sankei.com/politics/news/151124/plt1511240058-n1.html
(信濃注:共産党は嫌いですが、内容が面白いので載せました)



 「米国から原潜寄港の申し入があった。池田さん含め、これは受け入れるが、核を積んでいたら受け入れられないと答弁した。これが1963年のことだ。これを聞いて米国がビックリした。3年前に約束したのに、なぜ今になってひっくり返ったのか。ケネディ大統領の時代だが、緊急の御前会議をやった。大問題だと。喧々諤々の議論して、国務長官が、ひょっとしたら今の内閣は知らないのではないかということを言い出した。普通の国ならあり得ない話だが、日本はあるかもしれない。ライシャワー大使に連絡し、大平正芳外相と至急会って確かめろと。その会談の記録もちゃんと公文書館にある。ライシャワーが説明したら、大平さんは知らなかったが、驚かなかったと報告している。今後は迷惑をかけるようなことはしないと約束したという」

 「米国はこれで一件落着となったが、その後、池田内閣から佐藤栄作内閣に果たして引き継いだかどうかが問題だ。後で分かったが、この記録は外務次官レベルで保存していた。首相にしても外相にしても安心な人には見せるが、安心でない人には見せなと。このことが言われ出したのが、民主党内閣のころに関係者が言い出した。その時点までに岸さん含め首相が23人いた。知らされたのは5人だけ。岸さん以外に4人。外相は34人いるが、藤山さんと大平さんをのぞき32人のうち、6人しか知らされていない。外務次官レベルのメガネにかなわなかった首相。外相が大部分だった」

 「その後、私が米国の資料が手に入ったとき、小渕内閣のときに党首討論でやったが、急死されたので森喜朗さんともやった。2人とも過去の首相答弁の通りだと。中曽根さんのときのことだ。中曽根さんは核の持ち込みはないないと明言している。何の資料を出しても、関知しないと。それで何年か前に中曽根さんと対談したときに聞いたら、米軍艦が日本に来るときに核を外して来るなんてことはあり得ないことだと思っていたといった。その人が建前上ないと言ったのを、後の内閣も盾にして、どんな資料を出しても認めなかった。しかし、密約文書は見たかというと、みていないというので、外務次官に信用されなかったのだ。中曽根さんも。こういう奇々怪々なことがあった」

 「民主党内閣になって、あるのは分かったが、外務省に残っているのは大平さんの書いた文書のみだと。原本はいまだみつからず。実に不可思議な国だ、日本は。米国絶対。しかし、この密約は今も生きているので、取り消せない。どの軍艦にも核は積まないことになっている。だから今は原潜が来ようが、核は入っていないはずだ。しかし、いったん時代が変わって米国の戦略が変わり、核戦争が目の前の問題になったら必ず積む。何の通告もなしに日本に自由に入るという密約が、民主党政権でも取り消せなかったから、いまだに生きてあるわけだ」

 「もう一つの密約は、佐藤内閣のときの沖縄返還に関連してニクソン大統領ともう一つの核密約があった。要するに、重大な緊急事態が生じたときは、米国は核兵器を沖縄に持ち込むという密約だ。(後略)」



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改訂履歴
なし

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