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2015年11月23日月曜日

韓国本国(国是は反日、国策は日本乗っ取り)

「余命まとめ目次」 http://yomeinomatome.blogspot.jp/2015/11/blog-post_98.html
 
 

目次

1.韓国本国(国是は反日、国策は日本乗っ取り)
2.添付資料、万年属国・植民地の朝鮮
3.添付資料、荒川五郎著:『最近朝鮮事情』(1906年)
4.添付資料、シャルル・ダレ著:『朝鮮事情』(1874年)
5.添付資料、イザベラ・バード著:『朝鮮紀行』(1894年)



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1.韓国本国(国是は反日、国策は日本乗っ取り)

簡単まとめ
(2015.11.28追記)
 「反日」を国是とするような民族性の背景には万年属国という歴史があります。弱者の歴史しか有しない朝鮮民族が選んだ道は、日本を貶め、被害者という立場から日本にたかり、果ては乗っ取ることでした。戦後から日本を蝕み蚕食しつづけ、2008年の民主政権下で「韓国の日本乗っ取り」はほぼ完成した、と言っても過言ではありません。

※「日本再生計画(計画の概要)」、「【4】韓国という国家」より抜粋して引用
 http://yomeinomatome.blogspot.jp/2015/11/blog-post_45.html

(簡単まとめ、追記以上)





「余命3年時事日記アーカイブ」様、2014/11/21記事
「超訳「余命3年時事日記」【4】韓国という国家」より全文引用

※非常に分かりやすい説明であり、「引用、リンク、部分抜粋、コピペ、全てフリーです。 【余命3年時事日記】拡散の一助になれば幸いです。」とのことでしたので、勝手ながら引用させていただきました。



 ここ1~2年、嫌韓の風潮が日本を席巻しています。民主党の国政運営能力のなさとマニフェスト違反、円高放任に東日本大震災・福島原発事故での対応のマズさに日本国民が怒り心頭、インターネット普及という時代の波に乗って民主党がひた隠しにしていた「ある種の情報」が拡散していったことが、この「大嫌韓時代」の発端であると「余命3年時事日記」はブログを開設した2012年に看破しています。
 今や、民主党が朝鮮(韓国・北朝鮮)の傀儡政党であることや韓流ゴリ押しメディアの正体、遡って韓国の歴史や民族性までいとも簡単にその情報は入手できます。個人ブログやSNS、動画サイトにこの手の情報は溢れています。
 韓国が「そのような国」で、韓国人が「そのような人たち」である理由は、歴史にあります。



万年属国・植民地の歴史しかない朝鮮

韓国の歴史(7分でわかる韓国)

信濃注:
2015年11月20日現在、リンク先の動画は削除されています。
(以上)


朝鮮植民地と属国の歴史はこちら参照

信濃注:「こちら参照」の記事
「日本の現在(危ない日本)」様、記事掲載日不明「属国・植民地の朝鮮」
http://ccce.web.fc2.com/si/dependency.html
「添付資料、万年属国・植民地の朝鮮」として末尾に引用
(以上)

 韓国は確認できる限りの資料では元、明、清の時代には朝鮮(=汚れた人が住む国という意味)と蔑称され奴隷的属国でした。明が成立して約100年後、世宗大王によってハングル文字が作られますが、それまでは記録公用言語は全て漢文表記でした。当時の社会情勢の世俗的な部分で朝鮮に都合の悪い部分はすべて明の資料でわかります。
 朝鮮がはじめて属国の歴史から解放されたのは日本による明治28年の日清講和条約でした。しかしその後すぐに内政は崩壊し日本への併合、日本敗戦による「棚ぼた式」の独立するも、間髪を入れずに朝鮮戦争。

 このような歴史ですから朝鮮半島では人間性やマナーがどうのこうのといってる余裕などなく、当然民度が育つような素地は皆無です。
 朝鮮には属国、被支配の歴史しか存在しません。一方で、朝鮮人にとって消し去りたい忌まわしい恥ずかしい記録は国の内外にあふれています。その主たる記録を消し去り、新たな捏造文化を作り上げるために韓国人は漢字まで捨ててしまいました。これは彼らが歴史を捨て、歴史に学ぶことを否定し、民族のルーツ、継続を遮断したということにほかなりません。



荒川五郎著:『最近朝鮮事情』(1906年)

信濃注:荒川五郎著:『最近朝鮮事情』(1906年)を引用した余命ブログ記事
余命三年時事日記様、「19 ②日韓(朝)戦争(情報戦争)」(word press版ブログ)
(so-net版ブログ、2013年2月24日記事「日中戦争、日韓(朝)戦争と安倍イズム④」)
http://yh649490005.xsrv.jp/public_html/2015/08/21/19%e3%80%80%e2%91%a1%e6%97%a5%e9%9f%93%ef%bc%88%e6%9c%9d%ef%bc%89%e6%88%a6%e4%ba%89%ef%bc%88%e6%83%85%e5%a0%b1%e6%88%a6%e4%ba%89%ef%bc%89/
http://kotoage.net/yomei/kc.cgi?130224001(余命3年時事日記さんのバックアップ様)
添付資料として末尾に全文引用
(以上)



シャルル・ダレ著:『朝鮮事情』(1874年)

信濃注:シャルル・ダレ著:『朝鮮事情』(1874年)を引用した余命ブログ記事
余命三年時事日記様、「20 ③日韓(朝)戦争(資料)」(word press版ブログ)
(so-net版ブログ、2013年2月24日記事「日中戦争、日韓(朝)戦争と安倍イズム⑤」)
http://yh649490005.xsrv.jp/public_html/2015/08/21/20%e3%80%80%e2%91%a2%e6%97%a5%e9%9f%93%ef%bc%88%e6%9c%9d%ef%bc%89%e6%88%a6%e4%ba%89%ef%bc%88%e8%b3%87%e6%96%99%ef%bc%89/
http://kotoage.net/yomei/kc.cgi?130224002(余命3年時事日記さんのバックアップ様)
添付資料として末尾に全文引用
(以上)



イザベラ・バード著:『朝鮮紀行』(1894年)

信濃注:イザベラ・バード著:『朝鮮紀行』(1894年)を引用した余命ブログ記事
余命三年時事日記様、「21 ④日韓(朝)戦争(資料2)」(word press版ブログ)
(so-net版ブログ、2013年2月24日記事「日中戦争、日韓(朝)戦争と安倍イズム⑥」)
http://yh649490005.xsrv.jp/public_html/2015/08/21/21%e3%80%80%e2%91%a3%e6%97%a5%e9%9f%93%ef%bc%88%e6%9c%9d%ef%bc%89%e6%88%a6%e4%ba%89%ef%bc%88%e8%b3%87%e6%96%99%ef%bc%92%ef%bc%89/
http://kotoage.net/yomei/kc.cgi?130224003(余命3年時事日記さんのバックアップ様)
添付資料として末尾に全文引用
(以上)

 朝鮮人には文化がない。ただ忌まわしく不潔な因習、習慣があるだけだというような内容の欧米のルポ、報告文献、旅行記事、小説等の記事閲覧については2008年あたりからサイトに訂正、遮断、削除が目立ち始めましたが、おそらく組織的な対応でしょう。



万年属国の国民が仕掛ける情報戦争

 韓国は戦後から一貫して、情報操作に対して異常なほど関心を寄せ研究を続けています。その理由はおそらく 「万年属国」の国民性から生じる「危機感」でしょう。

 
不利益なことは徹底して隠蔽し、有利なように捏造します。敵対国にはグローバル操作により幅広いロビー活動を行い米政界・IOC・国連などへ強い影響力を持ち、包囲攻撃を行います。事実、戦後日本では韓国の情報操作(教育界・労組・マスメディアの乗っ取り)は成功しました。

韓国元大統領・李明博(イ・ミョンバク)の2つの発言を見てみましょう。

日王は韓国民に心から土下座したいのなら来い、重罪人にふさわしく手足を縛って頭を踏んで地面に擦り付けて謝らせてやる。重罪人が土下座もしない、言葉で謝るだけならふざけた話だ。そんな馬鹿な話は通用しない。それなら入国は許さない。

信濃注:2012年8月14日 天皇陛下謝罪要求
ちなみに、直前の8月10日、李明博大統領が竹島上陸
(以上)

北朝鮮の復興は心配ない、日本にやらせるのだ。私が日本にすべてのカネを出させる、我々はすでに日本を征服しているからだ。奴らのカネは我々が自由にできる、日本は何も知らない、フジテレビが証拠、日本人はよだれを垂らして見ている、私にまかせろ、日本にいるのは私の命令に忠実な高度に訓練された私の兵隊だ!
(2012年8月31日「たった60万人の在日韓国朝鮮人に支配された1億人の日本人奴隷!」韓国SBSテレビ番組より)

信濃注:2009年8月31日 日本乗っ取り完了宣言
ちなみに、前日の8月30日に衆議院議員選挙、自民党大敗・民主党圧勝、政権交代
(以上)

 仮にも一国の大統領という立場で、これです。通常の感覚を持つ日本人なら激怒することでしょう。日本メディアは全く報道しませんでした。しかしネットでアップされるや一気に拡散し、結果的に日本人の覚醒を進める一助となりました。
 日本メディアの売国ぶりはさておき、この2つの問題発言からは、韓国の日本に対する立場が見て取れます。

徹底した反日

国策「日本乗っ取り」

 ところで、この隠蔽・捏造・宣伝戦は東アジア三国(中・韓・朝)独自の手法と言われています。驚くことに、敵対国や世界のみならず、自国民をも欺きます。具体例としては、漢字を捨ててハングルのみの教育方針をたて、歴史書など国民の知的財産を利用困難にしてしましました。



隠蔽・捏造戦略がもたらした結果

 独自の産業や独自の文化が創出できずにあらゆる分野でパクリやスパイ行為が横行する韓国。思考能力の欠如とパクリ体質で全ての分野が衰退&破綻の一路を辿っています。

【参考動画】


フジテレビ 韓流捏造に必死
http://www.youtube.com/watch?v=b2qoQL8wD8s



韓国企業スパイの技術盗用の現状!日本人を騙すパクリのテクニックと末路とは?
http://www.youtube.com/watch?v=4gEb8IIbLKc

信濃注:
2015年11月20日現在、リンク先の動画は削除されています。
(以上)



【韓国軍崩壊】米軍までがパクリを指摘!
http://www.youtube.com/watch?v=0oDTrOzOyzk



パクリ王国・韓国 日本のお菓子からアニメまで盗み放題
http://www.youtube.com/watch?v=t8d462JgXnU



韓国の国策は「日本乗っ取り」

 このように万年属国で文化も技術も歴史も育めずに、パクリ・捏造・嘘で国体が構築されている韓国。隣国の「日本」――世界随一の歴史と伝統、技術力、創造性と民度を誇る国――に対する感情は尋常ではないことは想像に難しくありません。強烈な劣等感と羨望が転じた「反日」、日本を貶めることによって自国の評価を高めるという歪んだ価値観も至るところで指摘されています。
 韓国を知れば知るほど、「こんな隣国と付き合いたくない」「ガツンと韓国に『わからせ』たい」「韓国がいかに卑劣に日本を貶めているか国際社会で糾弾したい」など日本人なら様々な感情が湧き上がることかと思います。韓国を正したり懲らしめたり、あるいは真っ向から対立することが結果として日本にプラスとなる、というのも間違いではないと思います。

 しかし、安倍氏の「日本再生計画」では、それらは主たる手法ではありません。むしろ韓国事案は放置しています。これは、韓国は日本が手を差し伸べなければ勝手に滅ぶと確信しているからです。
「日本が手を差し伸べなければ」という条件は「日本再生計画」の核心を突いています。戦後レジームの一環として、日本は戦後、韓国のいいようにされてきました。日本国内にそのような便宜を図る勢力が存在するからです(そこに群がり利権を貪る勢力もありました)。自国に便宜を図るのと同時に彼らは日本社会に寄生し、日本の政治・経済・文化を蚕食して利権の及ぶ範囲を拡充し続けてきました。

先述の李明博元大統領の「日本乗っ取り完了宣言」を再び見てみましょう。

北朝鮮の復興は心配ない、日本にやらせるのだ。私が日本にすべてのカネを出させる、我々はすでに日本を征服しているからだ。奴らのカネは我々が自由にできる、日本は何も知らない、フジテレビが証拠、日本人はよだれを垂らして見ている、私にまかせろ、日本にいるのは私の命令に忠実な高度に訓練された私の兵隊だ!
(2012年8月31日「たった60万人の在日韓国朝鮮人に支配された1億人の日本人奴隷!」韓国SBSテレビ番組より)

「日本にいるのは私の命令に忠実な高度に訓練された私の兵隊」――これは在日朝鮮人のことを指しています。李明博本人も大阪府大阪市平野区出身の在日です。

 安倍氏が目指すのは戦後70年の精算と日本再生であり、この過程において足を引っ張る反日勢力――在日朝鮮人や売国日本人――を排除しようとしているのです。
 日本の政治経済に深く介入して在日朝鮮人を筆頭とする反日勢力を支援し、日本を貶めることに血道を上げる韓国とは、その「大掃除」の過程で必然的に対決することもあるでしょうが、それはあくまで派生的なシナリオです。

 それでは次の記事で、戦後日本を蚕食し続けてきた反日勢力の中心的存在「在日」朝鮮人」について検証を進めます。





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2.添付資料、万年属国・植民地の朝鮮

「日本の現在(危ない日本)」様、記事掲載日不明
「属国・植民地の朝鮮」より抜粋して引用
http://ccce.web.fc2.com/si/dependency.html



 韓国に一冊しか無い国定中学校国史教科書には5000年の偉大な歴史と文明を持ち大帝国を築いた それを日帝が植民地にしたと記載されますが



朝鮮の植民地と属国の歴史

【朝鮮半島の統治国の歴史】

紀元前108年~220年:漢(植民地)
221年~245年:魏(植民地)
108年~313年:晋(植民地)
314年~676年:晋宋梁陳隋唐(属国)
690年~900年:渤海(属国)
1126年~1234年:金(属国)
1259年~1356年:モンゴル(属国)
1392年~1637年:明(属国)
1637年~1897年:清(属国)
1897年:下関条約により清の属国から開放される
1903年:ロシア朝鮮半島を南下。日本の尽力によりロシアの属国化を回避
1905年~1910年:日本(保護国)
1909年:早期併合に慎重であった伊藤博文内閣総理大臣が安 重根(アン・ジュングン)に暗殺される
1910年~1945年:日本(併合)
1945年~1948年:アメリカ(非独立)
1948年:大韓民国成立(アメリカ軍による朝鮮統治によって国家基盤が形成され成立)
1948年:軍事独裁政権誕生
1948年:済州島4.3事件 3万人虐殺
1950年:朝鮮戦争 400万人殺し合い
1950年:保導連盟事件 30万人虐殺
1951年:国民防衛軍事件 10万人虐殺
1951年:居昌事件 8500人虐殺
1979年:軍出身の大統領政権誕生
1980年:光州事件 600人虐殺
1993年:初の文民政権誕生



明の属国朝鮮


朝貢属国
1602 日本海(Sea of Japan)
「坤輿萬國全図」、制作Matteo Ricci、北京。



大清国属 高麗国旗

 
最古の太極旗の絵が発見 2004.1.26
 太極旗が韓国の国旗として使用された過程を示す最古となる太極旗の絵が発見された。
 1882年7月に米海軍省(Navy Department)航海局(Bureau of Navigation)が発行した『海上国家の旗』(Flags of Maritime Nations)に収録されたこの太極旗は、青、赤の太極模様と黒の4卦など、現在の太極旗の原型を保っている。
 これは「4卦太極旗」を初めて製作して使用されたとされる朴泳孝(パク・ヨンホ)の渡韓(1882年8~9月)時期より2~3カ月早いことから、多くの関心が寄せられている。

大清国属=清(中国)の属国と印字された国旗を堂々と紹介。

「大清国属」

 漢字さえ読めればこんな失敗はしないし自国の真の歴史くらい いくらでも調べられます。
 韓国の制定国旗は「太極旗」です
 韓国では太極旗はオリジナルであり誇らしい独立の証だとの認識が広く国民の間で定着していますが「属国清大」つまり「大清国属高麗国旗」と書いてあり、太極旗は「属国旗」として作られたものである。
 過去を顧みることができない韓国は、かつて清から賜った属国旗である太極旗を称えているバ・・・・・・



独立門(信濃注:迎恩門を建て替えたもの)


日清戦争後に建てられた「独立門」、なぜ独立なのかは、清から独立したからです。
 日清戦争で日本が勝利し、1895年の下関条約で、清の冊封体制から李氏朝鮮は離脱した。 こうして大韓帝国が成立、朝鮮内の開化派は迎恩門を取り崩し1897年、独立の記念として新たに独立門を同じ場所に建てた。
 で、その前にある石柱が残っているでしょ?

 
それが何の建物の跡かと言うと・・・・・

 
迎恩門
清皇帝から受けた恩に、感謝して迎えるために作った門

 ここで朝鮮王は、9回頭を地面に叩きつけて、ひれ伏し、清の使者を迎えました
 迎恩門(げいおんもん、ヨンウンムン)とは、中国の皇帝の臣下であり、冊封国であった朝鮮の歴代の王が、中国の皇帝の使者を迎えるための門であった。清代には「三跪九叩頭の礼」によって使者を迎えた。

「三跪九叩頭の礼」とは、

1.「跪」の号令で跪き、
2.「一叩(または『一叩頭』)」の号令で手を地面につけ、額を地面に打ち付ける。
3.「二叩(または『再叩頭』)」の号令で手を地面につけ、額を地面に打ち付ける。
4.「三叩(または『三叩頭』)」の号令で手を地面につけ、額を地面に打ち付ける。
5.「起」の号令で起立する。

これを計3回繰り返すので、合計9回、「手を地面につけ、額を地面に打ち付ける」こととなる。



土下座碑

 
ソウルには大清皇帝功徳碑(三田渡碑)があり、その横の銅版には、当時の朝鮮王がひれ伏している様子が描かれているのを見ることができたが、 2008年に撤去された。

 
『三田渡碑(さんでんとひ、サムジョンドビ、Samjeondo-bi)』
(大清皇帝功徳碑(だいしんこうていこうとくひ))
1963年に洪水で流されたが、ソウル特別市松坡区石村洞 289-3に復元された。
『三田渡碑』丙子胡乱で朝鮮が負けた時に、朝鮮王が清国皇帝に服従を誓った記念碑。

大意

愚かな朝鮮王は、偉大な清国皇帝に逆らった。
清国皇帝は愚かな朝鮮王をたしなめ、己の大罪を諭してやった。
良心に目覚めた朝鮮王は自分の愚かさを猛省し、偉大な清国皇帝の臣下になることを誓った。
我が朝鮮はこの清国皇帝の功徳を永遠に忘れず、
また清国に逆らった愚かな罪を反省するために、この石碑を建てることにする。

和議の内容

朝鮮は清国に対し、臣としての礼を尽くすこと。
朝鮮は明の元号を廃し、明との交易を禁じ、
明から送られた誥命と明から与えられた朝鮮王の印璽を清国へ引き渡すこと。
王の長子と次男、および大臣の子女を人質として送ること。
清国が明を征服する時には、求められた期日までに、遅滞なく援軍を派遣すること。
内外(清国)の諸臣と婚姻を結び、誼を固くすること。
城郭の増築や修理については、清国に事前に承諾を得ること。 
清国皇帝の誕生日である聖節・正朔である正月一日・冬至と慶弔の使者は、明との旧例に従って送ること。
清国が鴨緑江の河口にある島を攻撃する時に、兵船五十隻を送ること。
清国からの逃亡者を隠してはいけない。
日本との交流を許すこと。
清国に対して黄金100両・白銀1000両と20余種の物品を毎年上納すること。

Wikipedia



朝鮮時代の服装の特徴

明の皇帝
 
袞竜袍
 
信濃注:袞竜袍(コルリョンボ)
朝鮮時代、王や王世子が執務時に身に着けていた、龍の刺繍が施されていた衣装
(以上)

赤は、「中国皇帝に忠実に仕える臣下」を示す色だそうです。
龍の数は、皇帝は九匹、それ以下一匹ずつ減り、最低ランクは一匹だそうです。
赤い服を着た人は三匹ですね。
皇族は八匹~七匹、大臣級は六匹~五匹、地方の役所の長(知事クラス)は四匹~三匹・・・・・etc
皇帝や高官、貴夫人が着るガウンのような、ゆったりとして貫祿のある衣装。
皇帝は黄、王や太子は橙色、老臣は白、忠臣や正直な人物は赤または緑、滑稽な人物は黒。



日清戦争

下関条約締結の結果、「戦勝国」日本は、清朝から、

1、清朝の朝鮮に対する「宗主権」放棄(朝鮮独立の承認)
2、遼東半島・台湾・澎湖諸島の割譲
3、庫平銀(賠償金)、2億両(テール 約3億円)の支払
4、新通商条約の締結と最恵国待遇条款
5、沙市・重慶・蘇州・杭州の開市・開港
6、条約履行の担保として山東半島の威海衛の一時占領

 朝鮮は千年にわたり中国の属国だった。近年には清の軍隊が漢城(現ソウル)に駐屯し、中国領になる寸前だった。それを阻止しようと、日本が起こしたのが日清戦争だ。
 戦争後の講和条約はほぼ例外なく、第1条で、負けた側が支払う賠償や割譲する領土のことを記してあるものだが、下関条約第1条は、「(これにより)朝鮮の独立を確認する」と謳(うた)っている。
 1895年に日本が最も求めたのは朝鮮の清国からの独立で、欧米列強の脅威にさらされていた日本は、朝鮮に独立国家の成立を願いました。





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3.添付資料、荒川五郎著:『最近朝鮮事情』(1906年)

余命三年時事日記様、「19 ②日韓(朝)戦争(情報戦争)」(word press版ブログ)より全文引用
(so-net版ブログ、2013年2月24日記事「日中戦争、日韓(朝)戦争と安倍イズム④」)
http://yh649490005.xsrv.jp/public_html/2015/08/21/19%e3%80%80%e2%91%a1%e6%97%a5%e9%9f%93%ef%bc%88%e6%9c%9d%ef%bc%89%e6%88%a6%e4%ba%89%ef%bc%88%e6%83%85%e5%a0%b1%e6%88%a6%e4%ba%89%ef%bc%89/
http://kotoage.net/yomei/kc.cgi?130224001(余命3年時事日記さんのバックアップ様)



第一章 ②日韓(朝)戦争(情報戦争)

 日本における政治的乗っ取り作戦失敗、マスメディア乗っ取り情報コントロール作戦失敗で韓国戦後の対日本戦略は大打撃を受けた。現在、安倍と日本全国民による掃討殲滅作戦が始まろうとしている。これに対し韓国は正面から抵抗できない。細かな様々な嫌みをぶつけてくるぐらいのことしかできない。
 だがこの中で彼らが一番力を入れている情報操作に関しては注意が必要だ。現在、ネット上多くの検索サイト、電子辞書があるが、その多くはシステム的に真理、事実、確立された歴史情報等を掲載しているわけではない。多数の情報集積の中での多数の意見、解釈を選択掲載しているのが実態である。異論、抗議、削除要請にも基本的に対応しているサイトがほとんどであるといってよいだろう。
 実例を挙げよう。ガリレオが地動説を唱え今ではそれを疑うものはいないが、当時は天動説が主体。当時の辞書は天動説が真理だったのだ。声が大きく、数が多い意見が正説となる方式だ。絶対真理でも基本的には関係がない。
 これを組織的に利用、活用しているのが韓国だ。あきれるほどの韓国起源主張、都合の悪い史実、情報の削除、捏造、改ざん。枚挙にいとまがない。嘘も100回唱えれば本当になる。朝鮮人には属国、被支配の歴史しか存在しない。またその彼らにとって消し去りたい忌まわしい恥ずかしい記録は国の内外にあふれている。
 その主たる記録を消し去り、新たな捏造文化を作り上げるために韓国人はなんと漢字まで捨ててしまったのだ。これは彼らが歴史を捨て、歴史に学ぶことを否定し、民族のルーツ、継続を遮断したということだ。近い将来ハングルの副作用が出てくるのは確実だ。

 朝鮮人には文化がない。ただ忌まわしく不潔な因習、習慣があるだけだというような内容の欧米のルポ、報告文献、旅行記事、小説等の記事閲覧については2008年あたりからサイトに訂正、遮断、削除が目立ち始めた。おそらく組織的に対応し始めたのだろう。
 現在ではかなりの数の記事が削除されたり閲覧不能となっているようだ。ただサイト側も訂正や削除要求があったからといってそれに無条件で応じているわけではない。たとえば「最近朝鮮事情」で検索するといくつかヒットするが、あるサイトでは以下のようなポップアップが表示される。「この記事には複数の問題があります。改善やノートページでの議論にご協力ください。 特筆性の基準を満たしていないおそれがあります。(2011年9月)雑多な内容を羅列した節があります。(2011年9月)」衆知期間を設けているのだ。

 ではいったいどのような記事が対象となっているのだろうか一例をあげておこう。
「最近朝鮮事情」とは、日韓併合前夜に朝鮮半島を視察した当時の衆議院議員荒川五郎によって書かれたルポルタージュである。1906年(明治39年)に清水書店から刊行された。20世紀初頭の朝鮮半島の人々の様子や文化が忌憚ない筆致で描かれており、当時を伝える貴重な資料となっている。

朝鮮人の迷信

 朝鮮人は病気とかその他吉凶禍福の事など多くは皆迷信に支配させられて、医薬よりもた祈祷、勤勉よりも祈願、戒憤よりも呪いという有様で、為に身を損ない身代を失い困難に陥るものはドレだけか分からない。朝鮮人の恐れて居る天然痘は疱瘡の神が自分の飢えを凌ごうが為に、やって来るのであるという所から、一家内の中に天然痘で死ぬものがあると、その死骸を藁包みにして門外の塀に懸けて置いたり、又は山の樹の間などに懸けて置いて、その肉が腐れるままに打ち捨て置き、漸く骨の現れる時になってから弔いする。

朝鮮の山・川

 釜山に上陸し、龍頭山に上りて四方の島山を望み、又草梁から汽車に乗って行きつつ、車窓から四方の山々の禿げて木の無い所、出水の度毎に田畑を荒らして居る所などを見ては、誰でも朝鮮には山も無いが川も無いという感じを生ずるであろう。朝鮮ではマダ治水という考えが無いらしい。
 全国一体に川は多いが、今ある川でも大水が出ればどう変わるか分からない。少し手を入れれば水流れが定まって、この辺り立派な土地が出来る。安心して稲や麦を作ることが出来ようと思う所でも、一向平気に打っちゃってある。朝鮮に川無しと申してもやむを得んでは無いか。山高きが故に貴からずで、朝鮮の山という山は殆ど禿げ山であるから、朝鮮に山無しと言うても差し支えなかろう。
 伐っては遣い取って炊き、そうして如何に禿げようが如何しようが構わず、植林など更に考えるどころか我一がちに互いに競うて伐り取りて顧みなかったものであるから、それで遂に今日のような哀れな有様を呈するに至る。従って川にも影響して来た次第であろうと思われる。

朝鮮の人

 朝鮮人は一体に男子は顔が長くて、気の長いのを表している。しかし女の顔は短いのが多いようだ。口元や顔の按排式は何処と無く無頓着のたちが見えて、実に衛生だの病気だの無頓着千万、そこになると悪く言うようだが人間よりか獣に近いと言ってもよいようである。道を歩くにもノソリノソリ牛が歩むように、又わけもなく道ばたの名も知れぬ草の芽など取って食っている。大きな棒でなぐられてもシイて痛そうにもせず、あちらに行け邪魔になると追いまくられてもブラリブラリ愚図ついている有様などは、牛に近いと言ってよい。 雨の降る日には仕事はしない方で、又寒い日など終日家の中で、遊惰にふけり雑談して、人の責務とか、勤労とか、時間の大事な事など更に観念は無いらしい。
 朝鮮人を雨の日にも働かそうと思えば、雨の関係を究めねばなるまい、即ち雨が降っても田野や道路が水にならないように、仕事をしようと思えば出来るように、治水即ち河川の修理をしてやらねばならないと思う。今日の有様ではまず雨の日には仕事をしようと思っても出来ない所が多い。もっとも何処も何処もそういう訳では無いから、その元は彼らの柔惰無気力によるのは言うまでも無い、雨水の氾(はび)こるのを打ち捨ておくのも実にその怠惰からである。
 五六人以上朝鮮人がいるうちには必ず一二人は痘痕(あばた)のものがある。これは衛生の思想の無い明らかな証拠で、天然痘が流行しても種痘をしてこれを予防するなどの考えもなければ、又その道も開けていない。朝鮮人の不潔と来たら随分ヒドイ。てんで清潔とか衛生とかいう考えは無いから、如何に不潔な家でも、如何に不潔な所でも一向に平気で、濁った水でも構わないどころか、小便や大便の汁が交じっていても、更に頓着せずにこれを飲む。実に味噌も糞も朝鮮人には一所である。家を造るに、壁土の中に馬糞などを混ぜて喜んでこれを塗る。その訳は馬糞をまぜると壁が堅くなって泥が落ちにくいと言うている。更に驚くべく信じがたい程であるのは、朝鮮人は小便で顔を洗い、気目がよくなると言うている。又小便は腎虚や肺結核や解熱等に有効だと言ってこれを用い、又強壮剤だと言って無病のものでも飲んでいる。いよいよ病気が重くて生きられまいという時は、大便を食べさすというとも聞いている。何と驚かしいことでは無いか。
 塵やゴミがばらけてようが、物が腐って臭かろうが、食い物には蠅がたかって汚しても、更に何とも思わないで、年中風呂に入るの、湯を使うのいうことは無い。小便壺は大抵室の中に置いてあって、大人でも子供でも、客の前であろうが、誰が居ても構わずジャアジャアと小便する。又その小便器を口の側に持って寄せて唾を吐き込む。彼らは久しい慣習で、別に何とも思わぬらしいが、日本人の眼から見れば如何にも見苦しい、たまったもので無い。
 朝鮮人は又概して勤勉貯蓄の思想が極めて乏しい、チョット見た所では仕事をする者は無いか知らんと思われる程、用も無いのに長いキセルを持ってブラリブラリしているのを到る所に見るのである。朝鮮人は至って遊惰安逸をむさぼり、その日さえ過ごさるれば骨を折って仕事をしようという考えも無いから、雑談にも困り無事に苦しむことがあっても、田舎などには娯楽に供する寄席のような手軽い便利な遊覧場などの、耳や目を喜ばすものも無く、ようやく盆栽をいじくったり、将棋カルタを弄ぶ位が主な楽しみで、その他は昼寝やら煙草をふかしなどして、その日を送るのである。

朝鮮の国体

 大韓国は他の国と違うて、その王室は決して国民とその休戚を共にするということは無く、只貴族のみは王室と利害を共にして居るようであるが、それでも国王の信任を得たものはその恩沢にも預かって利益もうけるが、その他はそうでない。であるから誰も彼も国王に取り入ろうとして、種々に魂胆をめぐらし、運動やら紛争軋轢実に醜状を極め、従ってその間に立って侍女や宦官、宦妓、巫女などが旨いことをやるのである。
 常民もまた国の為などいう観念は毛頭も無いので、余計に儲ければそれだけまた余計に取り立てられて手元には残らないからというので、怠けられるだけは怠け、遊ばれるだけは遊び、田や畑や山や林やなど、これを仕立てたり、手をかけて、確実な財産を作ろうなどという考えは無いらしい。この点が即ち朝鮮の今日の有様を致す所以でもあろうか。

荒川五郎 『最近朝鮮事情』 清水書店、1906年5月

 100年以上前のルポ記事にいちゃもんつけてもしょうがないだろう。削除したい気持ちがわからないでもないが。まあこれくらいの記事はいい方でこれまでは隠蔽してきた事件記事が削除間に合わずオープンになってしまったケースが続出している。当然その中身は見られたくない、知られたくない内容であるから彼らは必死だ。
 悲惨なのはこの削除、隠蔽、捏造工作は対日本人だけではないという点だ。彼らの国、民族の歴史、文化、習慣等で孫や子供に伝えられない、教えられない、知られたくないことが山ほどあるのだ。戦後はや第三世代だ。この子供たちに、自分の国の歴史文化が引き継げないというだけでこの国は終わったといえるだろう。 つづく





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4.添付資料、シャルル・ダレ著:『朝鮮事情』(1874年)

余命三年時事日記様、「20 ③日韓(朝)戦争(資料)」(word press版ブログ)より全文引用
(so-net版ブログ、2013年2月24日記事「日中戦争、日韓(朝)戦争と安倍イズム⑤」)
http://yh649490005.xsrv.jp/public_html/2015/08/21/20%e3%80%80%e2%91%a2%e6%97%a5%e9%9f%93%ef%bc%88%e6%9c%9d%ef%bc%89%e6%88%a6%e4%ba%89%ef%bc%88%e8%b3%87%e6%96%99%ef%bc%89/
http://kotoage.net/yomei/kc.cgi?130224002(余命3年時事日記さんのバックアップ様)



第一章 ③日韓(朝)戦争(資料)

超一級資料。100年以上前の資料とは思えない。大部分はWikipediaから引用整理。

シャルル・ダレ著『朝鮮事情』(1874)
 クロード・シャルル・ダレ(仏語:Claude Charles Dallet、1829年 – 1878年4月25日)は、1874年『朝鮮教会史』(Histoire de L’Eglise de Corée.)を著したフランス人司祭、宣教師。
 1852年にパリ外国宣教会の神学校を卒業したのち、インドをはじめアジア各地を任地としたが、朝鮮には入国していない。その後パリ外国宣教会本部に戻り、1872年から、第5代ダブリュイ司教(1866年に漢城で処刑)が収集・整理しかけていた資料を基礎にして『朝鮮教会史』の編述に着手し、1874年に完成、刊行をみた。その後ダレは、1877年に再びアジアへ出向き、ベトナムをへてトンキンにて病没した。

『朝鮮教会史』

 原典は全2巻。ローマ教皇ピウス9世の祝辞のついた版とつかない版があり、献呈の辞は聖母マリアに捧げられている。15章から成る「序論」(Introduction)は『朝鮮事情』として日本語に翻訳されている(平凡社東洋文庫所収)。序論は、『朝鮮教会史』(「本論」)を何の予備知識もなしに読まなくてはならない遠隔地の人びとのために、朝鮮とはどんな国であるかを簡潔に説明したもので、本論とは独立して編集されている。
 1876年の朝鮮開国に先立って、厳重な鎖国体制下の朝鮮にあえて潜入し、そこで生活したほとんど唯一の欧米人集団であるパリ外国宣教会所属のフランス人宣教師たちの通信を素材としている点できわめて資料的価値が高いとされる。なお、序論は第1巻の初めに収められ、全体の約5分の1を占める。



 「序論」(『朝鮮事情』)では、以下のように当時の李氏朝鮮の様子を細かく伝えている。

 ソウルは、人口が多い大都市であるが、見るべき建築物はなく、空気も流れることのない曲がりくねった路地ばかりで、足元にはゴミが散乱しているとし、道路を作る技術がほとんどないため、利用しにくい道は商取引の障害になっているとしている。また役人の地位は売買されており、その地位を購入した人は、その費用を取り戻そうと特権を濫用して体裁かまうことなく行動するという。女性の地位については極度に低く、男性の奴隷や労働力となっているだけとし、また学問については、書物はすべて中国のもので、学ぶ言葉は朝鮮語でなく漢語で、歴史に関しても朝鮮史でなく、中国史ばかり研究しており、科学技術については数世紀の間、まったく進歩していないと伝える。朝鮮人の衣服については、白衣が一般的であるが、多くの場合、汚れて色変わりしており、富裕な者でも不潔なことが多く、これは朝鮮人の特徴であるとしている。

 朝鮮は1871年、72年には酷い飢饉におそわれ、朝鮮人の中には娘を米一升で売る者もあらわれたほどであったが、朝鮮政府は己の利得のみのために、鎖国と固守し、中国や日本からの食料買い入れを許すよりも、むしろ国民の半数が死んでいくのを放置する道を選んだと伝えている。

 朝鮮では、人びとが非常に高い声で話すので、集会はとくに騒がしい。できるだけ高い声で叫ぶことは、物腰が上品である証左となる(ママ)。社交界では、普通の声で話すのは、奇を衒おうとしている変わり者だと思われ、他人からは悪く見られる。朝鮮人が喧騒を好むのは、先天的である。彼らの考えでは、大騒ぎして、はじめて、ものごとは正されるのである。

 朝鮮人は、男女とも、生まれつき非常に熱情的である。しかし、真の愛情は、この国には全く存在しない。彼らの熱情は純粋に肉体的なものであって、そこにはなんら真心がない。彼らは、自分自身を満足させるため、手に届く対象には何にでもやたらと飛びつくあの動物的な欲望、獣的本能以外は知らない。
 したがって、風紀の腐敗は想像を絶し、「人びとの過半数は、自分たちの真の両親を知らない」と、大胆に断言さえできるのである。異教徒の男に凌辱されようとした瞬間、キリスト教徒の女性は、しばしば次のように言って彼らを思いとどまらせた。「私に近づかないで下さい。私はあなた様の娘なのです」。すると異教徒は、それが真実ではないとしても、少なくとも非常にありそうな事実だと悟って、退くのである。
 さらにこの国では、いかなる宗教的拘束も、情熱を抑制することはできない。風習と物質生活上の必要のゆえに、貧しい人びと、すなわち人口の半分がしばしば貞操観念を忘れるように強いられるこの国では、これ以外にどんな方法があるだろうか?

 ほとんどすべての子供は、九歳か十歳まで、あるいはそれ以上になっても、夏のあいだは裸のままで過ごすか、あるいは腰までの小さな上衣を身につけているにすぎない。

 一人旅をしている女性が旅宿で夜を過ごしたりしたら、見知らぬ者の餌食になることは間違いない。ときには男の同伴者がいるときでさえ、男がしっかりと武装していなければ、彼女を十分に守ることはできない。売春が白昼いたるところで行なわれ、男色やその他の自然に反する犯罪が、かなり頻繁にある。
 街道筋では、いたるところの村の入り口に身分の低い娼婦が米焼酎の瓶を手にしており、それを旅人に供する。おおかたの男たちが足を留めて、彼女たちに歌をうたわせたり、いっしょにふざけ合ったりする。仮にある男が彼女たちを無視して通り過ぎようとすれば、彼女たちはためらわずに男の服をつかんで道を塞ぐ。

 朝鮮人は一般に、頑固で、気難しく、怒りっぽく、執念深い。それは、彼らがいまだ浸っている半未開性のせいである。異教徒のあいだには、なんらの倫理教育も行なわれていないし、キリスト教徒の場合も、教育がその成果をあらわすまでには時間がかかる。大人が不断の怒りを笑って済ませるから、子供たちは、ほとんど懲罰を受けることもなく成長し、成長した後は、男も女も見さかいのないほどの怒りを絶え間なく爆発させるようになる。
 彼らは、怒りっぽいが、それと同程度に、復讐心に満ちている。たとえば、五十の陰謀のうち四十九までが何人かの陰謀加担者によって事前に暴露される。これらはほとんどいつも、個人的な恨みを満足させるためのものであったり、かつての少し辛辣な言葉に対する仕返しのためであったりする。敵対する者たちの頭上に懲罰を加えることができるならば、自分が罰せられることなど、彼らにとってば何でもないのである。

 朝鮮人を、無気力で臆病だとは非難できない。彼らは、必要な場合には、答刑や杖刑その他の刑罰を、まったく平然と耐え忍び、いささかの感情も外に出そうとはしない。彼らは、病気のときでも耐える。彼らには、肉体を鍛練する多くの趣味がある。例えば、弓術や狩り等があり、決して疲労のために屈することはない。
 しかし不思議なことに、にもかかわらず軍隊は概して非常に弱く、彼らは重大な危険があるとさえ見れば、武器を放棄して四方へ逃亡することしか考えない。たぶんそれは、訓練不足か組織の欠陥のためであろう。有能な将官さえいれぼ、朝鮮人はすばらしい軍隊になるだろうと、宜教師たちは確信している。たぶん、適切な季節に十分に計画を練って虎退治をすれば、この動物を多く捕殺し、残りを人のほとんど住まない大山脈のなかに追いやることができるであろう。
 しかし、人びとは、当面の危険を排除することしか考えず、将来のこととか全体の利益とかには何も気をくばらない。

 朝鮮人は、金儲けに目がない。金を稼ぐために、あらゆる手段を使う。彼らは、財産を保護し盗難を防ぐ道徳的な法をほとんど知らず、まして遵守しようとはしない。しかしまた、守銭奴はほとんどいない。いるとしても、富裕な中人階級か商人のあいだにいるにすぎない。
 この国では、現金の二、三万フランもあれば金持ちだといわれる。一般に彼らは、欲深いと同時に、無駄づかいも多く、金を持てば余すところなく使ってしまう。金さえあれば、豪勢な暮らしをすること、友人をよくもてなすこと、自己の気まぐれだけを考えている。
 数多くの人びとが、常に街道に出てきては好機をねらっている。ここに無くてもあそこでは出くわすかもしれない、何か宝物でも見付かるかもしれない、まだ開発されていない何か高価な資源でも発見できるかもしれない、何か金を稼ぐ新しい手段を発明できるかもしれない、などと期待している。ある道などでは、住民の半数がちゃんと定住しておらず、貧困から遁れるために一、二年もすると移住し、少しするとまた移住し、同じことをくり返しながら最上のものを探し求めるのだが、ほとんどいつも最悪なものに出くわしている。



 以上抜粋。現在と全く変わらないことに驚かされる。





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5.添付資料、イザベラ・バード著:『朝鮮紀行』(1894年)

余命三年時事日記様、「21 ④日韓(朝)戦争(資料2)」(word press版ブログ)より全文引用
(so-net版ブログ、2013年2月24日記事「日中戦争、日韓(朝)戦争と安倍イズム⑥」)
http://yh649490005.xsrv.jp/public_html/2015/08/21/21%e3%80%80%e2%91%a3%e6%97%a5%e9%9f%93%ef%bc%88%e6%9c%9d%ef%bc%89%e6%88%a6%e4%ba%89%ef%bc%88%e8%b3%87%e6%96%99%ef%bc%92%ef%bc%89/
http://kotoage.net/yomei/kc.cgi?130224003(余命3年時事日記さんのバックアップ様)



第一章 ④日韓(朝)戦争(資料2)

 このようなテーマのブログの中でなぜ半分コピペのような資料を掲載しているのか疑問に思われる方もおられるだろう。テーマの意図に沿っての掲載は当然のこととして、実は韓国、朝鮮人、主として在日朝鮮人の若者に対する情報提供の場をつくっているのだ。
 戦後第三世代の韓国、北朝鮮の若者たちは、嘘が嘘を呼び、嘘を隠すためにまた嘘をつくという捏造の情報連鎖の中で、何が真実がわからなくなってしまっている。韓国語を理解しない、書けない、話せない者も多い。彼らは韓国、朝鮮文化よりは日本人の文化の中で日本人の価値観で育っている。
 韓国国内ネットにおける情報は捏造操作された都合のよいものばかりで真実性は極端に低く信用できない。当然のように彼らに不都合、恥じ入るような情報、記事は閲覧の機会さえ封じられている。表向きはともかく日本国内でネットは自由だ。そこにあふれる情報は日本人だけが発信しているわけではない。全世界から発信されているものだ。正否、正誤、都合の悪い情報もあるだろうが、ここが重要なのだ。
 小生、個人的には、客観的に考えても、99%韓国、北朝鮮との友好改善、共存共栄はもはや不可能と思っているが、わずかに残る1%の実現可能なきっかけの場になればとこのようなスタイルをとっている。

イザベラ・バード

イザベラ・バード(Isabella Lucy Bird, 結婚後はIsabella Bird Bishop夫人, 1831年10月15日 – 1904年10月7日)はイギリスの女性旅行家、紀行作家。明治時代の東北地方や北海道、関西などを旅行し、その旅行記”Unbeaten Tracks in Japan”(邦題『日本奥地紀行』『バード 日本紀行』)を書いた。
 イギリス・ヨークシャーで牧師の長女として生まれる。妹の名はヘニー。幼少時に病弱で、時には北米まで転地療養したことがきっかけとなり、長じて旅に憧れるようになる。アメリカやカナダを旅し、1856年”The Englishwoman in America”を書いた。その後、ヴィクトリアン・レディ・トラヴェラー(当時としては珍しい女性旅行家)として、世界中を旅した。1893年英国地理学会特別会員となる。
 1878年(明治11年)6月から9月にかけて、東京を起点に日光から新潟へ抜け、日本海側から北海道に至る北日本を旅した(連れは通訳として雇った伊藤鶴吉のみ。但し所々で現地ガイドなどを伴うこともあった)。また10月から神戸、京都、伊勢、大阪を訪ねている。
 これらの体験を1880年 “Unbeaten Tracks in Japan” 2巻にまとめた。第1巻は北日本旅行記、第2巻は関西方面の記録である。この中で、英国公使ハリー・パークス、後に明治学院を設立するヘボン博士(ジェームス・カーティス・ヘボン)、同志社のJ.D.デイヴィスと新島夫妻(新島襄・新島八重)らを訪問、面会した記述も含まれている。
 その後、1885年に関西旅行の記述、その他を省略した普及版が出版される。本書は明治期の外来人の視点を通して日本を知る貴重な文献である。特に、アイヌの生活ぶりや風俗については、まだアイヌ文化の研究が本格化する前の明治時代初期の状況をつまびらかに紹介したほぼ唯一の文献である。
 また、清国、クルディスタン、ペルシャ、チベットを旅し、さらに1894年から1897年にかけ、4度にわたり末期の李氏朝鮮を訪れ、旅行記”Korea and Her Neighbours”(『朝鮮紀行』)を書いている。
 中国への再度の旅行を計画していたが、1904年に73歳の誕生日を前にして死去した。

『日本奥地紀行』

 1878年(明治11)6月から9月にかけ『日本奥地紀行』は執筆され、1880年に “Unbeaten Tracks in Japan(直訳すると「日本における人跡未踏の道」)” として刊行された。冒頭の「はしがき」では「(私の)全行程を踏破したヨーロッパ人はこれまでに一人もいなかった」としるし、また「西洋人のよく出かけるところは、日光を例外として詳しくは述べなかった」と記し、この紀行が既存の日本旅行記とは性格を異にすることを明言している
 栃木県壬生町から鹿沼市の日光杉並木に至る例幣使街道では、よく手入れされた大麻畑や街道沿いの景色に日本の美しさを実感したと書いている。また日光で滞在した金谷邸(カナヤ・カッテージ・イン)にはその内外に日本の牧歌的生活があると絶賛し、ここに丸々2週間滞在して日光東照宮をはじめ、日光の景勝地を家主金谷善一郎および通訳の伊藤とともに探訪する。
 日光滞在10日目には奥日光を訪れるが、梅雨時の豊かな水と日光に育まれた植生、コケ、シダ、木々の深緑と鮮やかに咲き誇る花々が中禅寺湖、男体山、華厳滝、竜頭滝、戦場ヶ原、湯滝、湯元湖を彩る様を闊達に描写し絶賛している。
 街道の終点である湯元温泉にもたいへんな関心を示し、湯治場を訪れている湯治客の様子を詳らかに記している。またその宿屋(やしま屋)のたいへん清潔である様を埃まみれの人間ではなく妖精が似合う宿であると形容し、1泊したうえで金谷邸への帰途に就く。
 山形県南陽市の赤湯温泉の湯治風景に強い関心を示し、置賜地方を「エデンの園」とし、その風景を「東洋のアルカディア」と評した。『日本奥地紀行』では当時の日本をこう書いている。

 私はそれから奥地や蝦夷を1200マイルに渡って旅をしたが、まったく安全でしかも心配もなかった。世界中で日本ほど婦人が危険にも無作法な目にもあわず、まったく安全に旅行できる国はないと信じている。

 他には新潟を「美しい繁華な町」としつつも、県庁、裁判所、学校、銀行などが「大胆でよく目立つ味気ない」としたり、湯沢を「特にいやな感じのする町である」と記したり、また黒石の上中野を美しいと絶賛したりしている。
 他方、「日本人は、西洋の服装をすると、とても小さく見える。どの服も合わない。日本人のみじめな体格、凹んだ胸部、がにまた足という国民的欠陥をいっそうひどくさせるだけである」、また「日本人の黄色い皮膚、馬のような固い髪、弱弱しい瞼、細長い眼、尻下がりの眉毛、平べったい鼻、凹んだ胸、蒙古系の頬が出た顔形、ちっぽけな体格、男たちのよろよろした歩きつき、女たちのよちよちした歩きぶりなど、一般に日本人の姿を見て感じるのは堕落しているという印象である」と日本人の人種的外観について記している。

朝鮮旅行

 最初の朝鮮訪問は1894年。以降3年のうちに、バードは4度にわたり朝鮮各地を旅した。時おりしも東学党の反乱、閔妃暗殺事件が起こるころ。『朝鮮紀行』は、国際情勢に翻弄される李氏朝鮮の不穏な政情、伝統的封建的伝統、文化など、バードがじかに見聞きした朝鮮の情勢を伝える。

以下、『朝鮮紀行』より。

 釜山に上陸したバードは、高台にある外国人居留地の周りの杉林が1592年からの文禄・慶長の役の際に豊臣秀吉日本軍による植林によるものと記し、また釜山の旧市街が同じく文禄・慶長の役の占領の際に、日本人によって手がけられたと記している。「砦はとても古いものの、中の市街は三世紀前の構想に沿って日本人の手によって近代化されている」
 バードは韓国併合以前の当時のソウルに関して、道は牛がすれ違えないほど細く迷路のようであり、家から出た汚物によって悪臭が酷く、北京を見るまで「ソウルこそこの世で一番不潔な町」だとし、「紹興へ行くまではソウルの悪臭こそこの世で一番ひどいにおいだ」「都会であり首都であるにしては、そのお粗末さは実に形容しがたい」と記している。また、人工の道や橋も少なく、「あっても夏には土埃が厚くて、冬にはぬかるみ、ならしてない場合はでこぼこの地面と、突き出た岩の上をわだちが通っている。道と言っても獣や人間の通行でどうやら識別可能な程度についた通路に過ぎない」と記している。
 また、ソウルには芸術品や公園や劇場、旧跡や図書館も文献もなく、寺院すらないため、清や日本にある宗教建築物の与える迫力がソウルにはないとしている。他方、金剛山の長安寺では「天国にいるような心地の二日間」を過ごすことができたと賞賛している。
 貨幣・通貨の流通については、銀行が町にないと記しており、また日本の円がソウルと条約港で通用したことを記している。
 朝鮮とロシア国境部の沿海州では水路が整備され、衛生にも配慮され、家屋は朝鮮半島におけるものより立派だとし、「朝鮮人というのはくずのような民族でその状態は望み無しと考えてた」がその考えを正すべきかもしれないとしている。
 身分制度に関して、「両班は究極に無能であり、その従者たちは金を払わず住民を脅して鶏や卵を奪っている」としている。「両班は公認の吸血鬼であり、ソウルには「盗む側」と「盗まれる側」の二つの身分しかない」と述べている。
 朝鮮の官僚については、「日本の発展に興味を持つ者も少数はいたものの、多くの者は搾取や不正利得ができなくなるという私利私欲のために改革に反対していた」とし、「堕落しきった朝鮮の官僚制度の浄化に日本は着手したが、それは困難きわまりなかった」と述べている。





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改訂履歴
※2015.11.28、「1.韓国本国(国是は反日、国策は日本乗っ取り)」冒頭に「簡単まとめ」追記

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